2015年02月21日

原著論文accept

先日、無事投稿中の論文が国際雑誌にacceptされました。
博士課程の時に取ったデータですが、当時の自分では結果の解釈ができなくて放置してたものです。
論文投稿のプロセスは少しずつつかめてきた感じがします。
しかし、何度もRejectされた末のやっとのacceptなので、内容がすごいとかではなく、よく心折れずに努力したわ、
というレベルの話かもしれません。まあとりあえず一つ落ち着いたということで。
どなたか存じませんが、時間を割いてコメントしてくれたreviewerに感謝です。

この論文は、まずは去年のSFNでポスターを見に来てくれて「Publishされたら論文をくれ」
と言っていたスイスとアメリカの研究室の人に送って色々とディスカッションできればと思ってます。

しばらくはこういう形で、原著論文を読んでインプット、臨床で効果検証、大学でメカニズム調べて、
論文書いてアウトプット、というスタイルを淡々と続けようと思います。
僕がすごいなと思っている人はみな自己主張をせずに黙々と研究をして結果を出している人ばかりですし。
結果が全て。よくフェイスブックとかでみられるような「頑張っていますアピール」は必要ないと思ってます。

リハビリに関わっている立場からすると、原著論文を出すということは、
研修会に参加して認定されるとか、手技のテクニックを練習する事とは意味合いが違っていて、
サイエンスの世界でひとつ認められて、科学やリハビリテーションの進歩に微力ながら貢献できることだと思っています。

セミナーや研修会に参加したり、テクニック教えてもらって一生懸命に練習したとしても、
指導者が考えを変えれば習っている人も180°考えを変えることがある。
あるテクニックでは一昔前は脳卒中患者は3か月はベッドから起こしてはいけないと言っていたのに
現在では全然違うことを言っているわけですが、上の先生がそう決めたからそうなのだろう、となるわけです。

自分の数少ない臨床経験の中でも、有名な病院がやってるからという理由でうちでもやってみようと取り組みを始めたり(口コミのレベル)、
外部講師が教えたやり方が一時的に流行し、1年後には誰もやっていない、というよくわからないことがありました(ブーム)。
患者さんが良くなればなんでもいい、という考えがあるのかもしれませんが、
確かに臨床ではそういう考えも必要ですが、なぜよくなったかは考察できなければならないと思います。
業界全体としての漠然とした印象ですが、みんな誠実で勤勉な人が多いですが、純粋すぎるというか、そんな気がするわけです。新しい概念や治療法が出てきたりするとみんな一気に飛びつかれます。

また、○○法は好きだけど●●法は嫌いだとか、好みで治療法を考えているセラピストもいます。
これもすごく閉鎖的に感じていて、例えば神経科学者とか、医者とか、心理学者とか、医学に関係する様々な職種と共有できる話題ではありません。科学ではありません。

一方でエビデンスが大事だという人は、確実に根拠のあるもの、よくあるのは理学療法の教科書に書いてあること、運動学とか解剖学とかをよりどころにしている人が多いわけですが、
実際に臨床していると運動学や解剖学だけでヒトや治療は語ることがでないのは当たり前なのですが、そのためのエビデンスがない。

つまり、これからセラピストとしてやっていくには、きちんと原著論文を読んで、
読んだ論文の結果を自分なりに解釈して、自分なりの根拠に基づいた治療法や関わり方を
作り出したり考えていく必要があると思ったりしてます。
原著論文として出すということは、そういう意味合いもあったりして。

自分はまだまだ力不足ですが、そういうことをしていけるセラピストでありたいと考えたりしているわけです。まだ目指す理想像ではありますが。

そういうわけで明日はセミナー手伝いなので早く寝ます。
おやすみなさい〜。
posted by さとし at 01:28| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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