2020年05月27日

カタルシス

昨晩は、知らない間にバテてたのか身体が動かなくなり、
手足が痺れたような感じで爆睡してしまいました。
暑かったので熱中症になっていたのでしょうか。

そういう感じで、今日も臨床メインで淡々と業務が終わりました。
毎日、自分で自由に使える時間が少ないなかで、
本当に時間あっという間に過ぎ去ってしまう。。。

現在、共著の先生から指摘を頂いて修正中の論文については
自分のアホさを痛感している状態。

他にも巨匠と思えるような方々と時々関わったり会話をしたりする機会がありますが、
目の前を開かれたような気になるのは、やっぱりありがたいことだと思うのですね。
だんだん誰からも何も言われなくなりますからね。。。

そして、誰かの助言をきっかけに新しい道筋が開けたりする感覚に
カタルシスを覚える自分もいたりします。

そんな感じで今日もあと少し頑張ります。
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2020年05月25日

媚びない

週末は、久しぶりにヨガにいったら
2〜3日目が冴えてしまいました。
自粛生活で心も身体も鈍ってたんだろうな、という感じです。

さてさて、
ある程度、組織において当たり前であることを
忘れていた気がします。
組織が存続するために時間を有効活用する。
効率的に時間を使う。
そのようなことが大前提であって、
従業員の権利とか働きやすさも大事ですが、
ワークライフのバランスも大事ですが、
組織のために、という立ち振る舞いも責任であることも感じたりします。
従業員の顔色見て気を遣ってたち振る舞うことも大事ですが、
大事なことはそれ自体が目的ではない。
時には厳しさも必要だし毅然とした態度も必要であると。
本当、当たり前のことですが。
何のため雇われの身であるのかってことです。

というわけで明日も頑張ります。
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2020年05月23日

自省

本日は溜まった仕事を片付けています。

色々なことに気づきがあるというのは、
そこで自分が成長しているということだと感じます。

そんな中、自分がまだまだダメだと感じることは、
感情的であったり、情に流されたりってところがあることでしょうね。
論理的な思考や視座を高く持たなければいけないことが求められてきます。
人のなあなあを批判するなら、自分もなあなあにならないように意識しなければと思います。
それができる人は本当にすごいなぁ、と思います。
現在の政権のずぶずぶを批判するのであれば、自分はそうでないようでなければありませんし。

こういうのは、ある程度は素質も求められるのでしょうか。
それともトレーニングで身につくものなのでしょうか。

そんな感じで自省を感じた1週間でした。
と、誰に発信するわけでなく自分の思考を整理するために書いているブログですが。

というわけであと少しの時間でもう一仕事片付けたいと思います。。。
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2020年05月20日

新しい働き方

本日も、仕事が終わりました。
明日は、関西3府県で緊急事態宣言が解除するかも、とのことですね。
来月から延期になっていた臨床実習で学生さんが来るそうです。
何かと神経を使いますね。

さてさて、個人的に感じることですが、
このコロナで濃厚接触ができなくなったことで、
リモートワークやオンライン会議など、対面しない働き方が促進されました。
今までも提案はされてきたけれど、あまり重要視されてこなかったスタイルでしたが、
これを機に一気に広がる(広がらざるを得ない)と思います。

第五世代の通信技術やドローンでの宅配、無人コンビニや無人レジなどの
取り組みも促進されることを願いますし、

障碍を持った方が社会に参加できるようなテクノロジーになるように
いい方向に導かれるといいなぁ、と思っています。

例えば、自動運転をするカートなどは、常に健常者が使っていると、
ただ運動したくない人が使う移動手段ですが、
足の不自由な人や体力のない人にとっては有意義な移動手段です。

脳波などで念じるだけで反応するスマートハウスも
肢体不自由者にはバリアフリー環境となります。

このような環境で社会参加の幅が広がって、
生産性が高まれば日本にとっても、経済にとってもいいのではないかと思ったりするのですが。
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2020年05月19日

話題のZOOM会議

昨日は、巷で話題のZOOMによるオンライン会議で、
ミーハーにもワクワクしてしまいました。

個人的なオンライン会議の感想としては、
おっさん的な感覚が強く反映されると思いますが、
まず、触るのが怖い、発言するのが怖い。
ちゃんとみんなに声が聞こえているのかとか気になったりしました。

あとは、全員の顔がフラットにカメラの前に顔が映し出されるので
緊張しますよね。

それと、会議後の個別に色々とぺちゃくちゃ喋るような時間がなくなるので、
会議中にちゃんと意見を言わなければいけないという焦りも感じたりしました。

まあ、そんな感じですが、
内容は、それなりに今後の展望を感じさせられるワクワク感があるもので
面白く感じました。

やっぱり、普段、患者さんをみるだけでなく、経営だ、書類だ、とバタバタとしている中で、
困っている人を何とかしたい、という良心が垣間見えるこういう企画があったりすると、
こういうものがあるから、今の職場を続けられているんだな、と思ったりします。
誰もが生きていくために、組織を守るために日々淡々と働いているわけですが、
それはもちろんやった上で、熱い気持ちをチラッと垣間見せる、ような。
職種を問わずに。

そんな感じで帰宅します。
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2020年05月17日

私という運命について (角川文庫) (日本語) 文庫  白石 一文 (著)



私という運命について (角川文庫) (日本語) 文庫  白石 一文 (著)

2005 年に刊行された小説だそうです。今更ながらですが読んでしましましたが、
色々と深く考えさせられる内容でした。

主人公、冬木亜紀は、大手メーカーで働くキャリアウーマンですが、
29歳の時に付き合っていた恋人・康からのプロポーズを断ってから
再会し結婚し、その後死別するまでが描かれています。

iモードなどの言葉が出てきており、平成の時代の中頃の話だと思いますが、
当時の、時代背景などを思い知ることができます。
女性の社会進出や派遣社員などが話題になった頃ではないでしょうか。
結婚や女性の働き方に対する価値観など、現在ではまた違った
考え方になるのかもしれません。

話の中では、知り合いが結婚したり、離婚したり、病気になったり、若くして亡くなったり、
いいこと悪いことありますが、僕らの年代くらいになればごく身近にある出来事です。

そんな中で、亜紀は、仕事を通じて一生懸命に自分らしさを求めていましたが、
次第に、自分の運命とはなんなのかという考えを募らせます。

最後は切ない終わりではあるのですが、
人生とは、喜びと哀しみの現れたり消えたりしが繰り返されるものなのだと感じています。
その中で、彼女の人生も、子どもの人生も、これから続いていくのだと思うと何とも言えない気持ちになりました。

チャンイーモウ監督の映画で「生きる」ってあったと思いますが、

少し思い出しました。


僕も、20代の頃は、自分らしさとか、自分の生き方とは?などを考え続けながら過ごしてきた気もします。
就職氷河期のモラトリアム世代とも重なっていましたし、
なんの仕事をしたいのか、とかどのように生きればいいのか?など。

しかし、今となっては、そのような考え方もありますが、
なるようになる、という意識も強くなっています。
人生は自分一人のものだけではないですし、
仕事も自分に対する価値も、結局は人が決めるものだと思ったりしています。

もしかしたら、それが人としての成熟を示すものかもしれませんよね。
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2020年05月14日

適材適所

適材適所とか本当にあるのでしょうね。

人には個性もあるし強みも弱みもありますから。
仕事でも、具体的な細かい作業が得意でも全体像を把握するのが苦手な人もいれば、
仕事が遅くて正確な人や仕事が速くてミスが多い人(僕はこれかも)、
数字に強い人もいますし、仕組みを作るのが得意な人もいます。
個人プレーは得意ですが、チームプレーが苦手な人もいます。

一方で、組織には従業員を教育するという役割もあります。
これはできるようになって欲しい、ここまで成長して欲しい、
一歩高い視座から物事を見れるようになって欲しい、
新しいことができるようになって欲しい、と。

みんながやりたいことだけをやって組織が成り立てばどんなに幸せなことでしょうか。
ただし、そうはいかない。

なかなか難しいものですね。
組織には規則があるので、それを守ることができない人は
残念ながらみんながハッピーになることはないとは思いますが、
もったいなぁ、と思うことがあります。

ただ、そのような人のためだけに環境やルールを変えることはできませんしね。
多分、社会が有る限り答えのでない問いでしょうね。
結局、答えは自分はそんな中でどこまでを受容してどうするか、ということかもしれません。
posted by さとし at 18:19| 京都 | Comment(0) | 臨床・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

経験知

行きつけのカフェが営業再開していて、非常に嬉しいです。
ここ最近で一番嬉しい気持ちです。

人生人それぞれ歩むわけで、
関わる利用者さんの中には、
昔はそれなりの立場であった方もおられるわけです。

経済的な地位を得た方、アカデミック的にそういう方、
何かしらの活動での方、色々おられますが、

そのような方と関わるときは、非常に刺激的です。
訪問リハビリテーションサービスを提供しているのですが、
何かしら学ばせていただいている気持ちが強くなります。

マンツーマンで大学の講義を受けているようなもったいないような気持ちも出てきます。
リハビリテーションの技術を高めなければ、という気持ちだけでなく
与えられた情報を噛み砕いて次回までに準備をしなければ、という気分になります。

利用者さんが関心のある本を読むこともありますし、
投資をされている方の場合は株を(やりませんが)少し勉強したり、
利用者さんの関係者が本を書いたり、衣類を販売していたり、
そういうときは、実際にチェックしますし、
若い頃の仕事での実績など本にされている方もおられるので
その本を読んだりとか。

時々思うのですが(自意識過剰かもしれませんが)、
僕も若くありませんが、次の世代の人に自分の培ってきた
知識や情報や経験知などを与えてくれているような気がするのですよね。

特にそう感じることが多い今日この頃です。
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2020年05月13日

地域のつながり

「地域」とは何かと聞かれると、人によって解釈が異なると思います。

「すみ良い地域とか」、「高齢者が暮らしやすい地域」」とか在宅では言う人が多いですが、

地域とはなんなのでしょうか。

先日参加した研修では、ある先生は「何かあった時に30分以内に家族が集まることができる場所」
とか言われてました。

個人的な感覚ですが、プライベートで地元に戻ると、
知っている人に声をかけられたり、
数十年ぶりに忘れかけていた人に話しかけられたり、
知り合いの子どもさんが大ききなっていて話しかけらたりとかするわけですが、
つながりに不思議な感覚を抱いたりするわけです。

若い頃は早く地元を離れたかったと思ってましたし、
いつまでも同じ場所に留まることが嫌だったりもしてました。
自分の小さい頃を知っている人が多いことは
時に行動しにくさもあったりもしますし。

しかし、地域とはこういうところではないかと思ったりします。
自分にとっての地元と似ている者で、

人と人とが繋がっている場所、といいますか、
お互いを知っていると言うことはそれだけで何か有機的なものがある気がします。

地域リハや在宅医療で作っていきたいものは、やはり人と人とのつながりだったりするのですね。
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2020年05月10日

在宅からの発信

訪問リハをやっているとちょくちょく感じることがあるのですが、それを先日また感じる機会がありました。

今まで関わっていた利用者さんが骨折して入院しました。そして退院してきて訪問リハ開始になりました。
が、訪問リハで欲しい情報が申し送られていなかった。。。という件です。

病院は身体機能を向上させることがメインだし、
自宅退院のための訓練といっても仮想の訓練しかできないことはもちろん分かっているのですが、

家は和式生活なのに洋式生活を評価した情報しかないとか、
手術をした部位の禁忌事項がないとか、

そういう情報がなければ、例えば橈骨遠位端骨折で手術をした方である場合は、
這って歩く時に手をついていいのかとか、わかりませんし
装具はいつまで装着する予定なのか、なども必要ですね。

別に入院と在宅では環境が違うのは仕方がないと思っていますが、
必要な情報が欲しいなぁ〜とか思ったりします。

この辺りの在宅と病院の移行をスムーズにするにはどうすれいいのだろう、とか思います。
こちらから家屋状況を入院した時点で手渡すとかどうだろう、とか。
何か在宅側から発信できないかな、とか。

そういうわけで母の日ですね。
何があるわけでもありませんが特別な感じがする日です。
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2020年05月09日

土曜日出勤

本日は出勤して、GWの祝日でお休みした利用者さんところで
訪問リハビリテーションを実施してきました。

臨床をやっていていいなと思うことは、
その人の人生に触れることができることですね。
障害像を捉えることも大事ですが、
人間としての全体像を見ることも非常に大事だと思っていて、
その人のやってきたことや生き様なども受け入れることが
必要だと思ったりするのです。

ある方が勧めていただいた本を読むこともありますし、
ある方が株や投資の話を聞くと、自分もちょっとチャートを見てみたりとか
考えを聞いたり、意見を求められたり、とそういう中で
運動とか日常生活の訓練のようなサービスを提供するだけでなく
すごく貴重なものを学んでいるような気がするのですよね。

介護サービスを利用される方は、ほとんどが高齢者で
残された人生をどのように生きるか、ということに
向き合っている方ばかりです。

自分がどうこうはとても言いませんが、
リハビリテーション職の仕事は、いい仕事だと思います。
そんな感じで雨の中帰宅します。
posted by さとし at 17:30| 京都 ☁| Comment(0) | 臨床・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月07日

連休終わり

GWが終わりました。

どこもかしこも自粛モードで家の近くの寺社仏閣を毎日歩き回りましたが、
これも店が閉まっていたからこそできた事、と思ってよかったです。
小野妹子の息子、小野毛人の墓が近くにあるとは知りませんでした。

仕事の方はなかなか進まず、自由な時間は1日1時間程度でしたし、
論文はとりあえず体裁は整えました。
現在取り組んでいる調査は、コロナの影響で回収率が悪く、
統計的な処理がうまく行えない可能性があります。
残念ですがね。。。

そんな感じです、
明日からまた仕事が始まりますね。
うちの職場はコロナ関係では大丈夫なのでしょうか。
自分はこれからどのように生きていくのか、
組織のために動きますし、働きますが、
自分には正直に、軸は持ちたいと思います。

posted by さとし at 01:42| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月02日

【2020年本屋大賞 大賞受賞作】流浪の月 (日本語) 凪良 ゆう (著) ※ネタバレ注意!


【2020年本屋大賞 大賞受賞作】流浪の月 (日本語) 凪良 ゆう (著)

今年の本屋大賞大賞受賞作ということで読んでみました。

最初は「ちょっと生理的に無理だ」ととか思ってたのですが、だんだんと引き込まれて行きました。

内容はというと、
主人公、更紗は家庭が崩壊した環境で幼少時代を過ごします。
大好きだった父は病死。空気を読まない発言で場を凍らせる母親、
昼間から酒を飲み、恋人ができて蒸発。
引き取られた親戚の家では性的嫌がらせを受けて育ちます。

心の隙間を埋めるように、声をかけれられてついて行ってた大学生、
文は、実は、厳格で潔癖な両親から育てられたためか、
小児愛好者で大人の女性を好きになることができない男性でした。

文のアパートで生活していた期間、世間では女児拉致監禁事件として扱われ、
文も更紗も、それぞれ保護施設で過ごした後で社会に復帰し、ひっそりと過ごすはずでした・・・。

しかし、更紗の素性は誰ともなく知れ渡っており、皆、「不遇な出来事にあった可哀想な子」という
先入観のもとに接します。しかし、本当はそうではなかった。
文を犯罪者にしてしまったのは更紗で、本当はあのアパートに居たかったのだ。
と、説明しても誰も納得してくれません。

二人は社会に出てからも再び出会い、お互い交際していた彼氏・彼女がいましたが、
周囲も、社会も、反対し、どんどん居場所がなくなるにもかかわらず、
居場所を捜しつつも二人で生きていこう、と決意するのでした。

という物語です(ネタバレ)。

個人的に感じたのは、この小説は、一見、周囲や社会がなんと言おうとも、
本人たちにしか理解できない事情がある。
自分たちで愛を貫いていく、という一見歪んでいる純愛小説とも取れるでしょう。
野島伸司さんの「高校教師」とかも似た雰囲気がありました。

あとは二人だけの世界と世間や社会の視線という、視点もあると思いますが。。。。

でも、僕の中で非常に考えさせられたことがありました。
この小説は、主人公、更紗の視点でかかれています。
全てが世間がおかしくて、自分たちのことをわかってくれない、
という印象を受けますが、実は更紗も何かしら、生育環境や先天的なものかで
心の病気がある可能性もあるな、というところです。

何を話しても分かってくれない周りの人とか、
周囲からは結構控えめで大人しい性格と思われていることが文脈から伺えますが、
自分と周りとのズレが分からないような心理描写もありますが、
もしかしたら第三者から見たら彼女の方が少しおかしいのかもしれない。
周りは自分たちのことを分かってくれない、と思っている時点で病気なのかもしれません。
所々で読者はもちろん本人自身にさえ理解できない行動に出るのもそのためかもしれない。

恋人の文も小児愛好者という病気をもっている。
相談相手の職場の同僚はシングルマザーで夫のDVが元で離婚して、
今は娘を更紗に預けて新しい彼氏と遊び呆けている。
更紗の交際相手も自己愛が強い暴力気質の男である。

当事者同士では何かしら理解できることかもしれませんが、
正直、普通に暮らしていたら関わることはあまりないな、という人たちですし、
その人たちを理解しようと思っても、なかなかハードルが高いのも事実ではあります。

しかし、当事者にしか分かりあえないこともあります。
連続殺人をして死刑確定した死刑囚の女性が獄中結婚をすることもあります。
ホームレス同士や生活困窮者同士が意気投合して結婚することもあります。
僕たちはなぜ、この人たちは結婚するのだろうと思いますが、本人たちの世界があるのです。

一般的な視点と当事者の視点、
彼女たちが実写化されたらどんな風なんだろう?と感じたりしました。

面白かったですのでおすすめです。
posted by さとし at 14:17| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする