2015年02月23日

「「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論」「街場の憂国会議」

最近読んだ本の雑感から。



「「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論」酒井崇男:著

これは、日本の企業が一時は世界最先端の実力を持っていたにもかかわらず
どんどんと衰退していった原因を、日本企業の体質の面からいろいろと考察した本です。

この本を読んで思ったのですけれど、

今、日本の景気が回復していると聞いても、トヨタが過去最高の収益になったとかニュースで聞いても何もうれしくないのは
アベノミクスでやってることは、公共事業を増やすとか、大企業を優遇するとか、
円を大量に刷って円安しても、未来に借金をして今の不況を一時的にどうにかしようとしているだけだし。

日本は、少子高齢化で人口減少しているし、福島第一原発事故がいまだ収束していないし、
このような状況でもやっていることは高度経済成長期と同じことで。
東京オリンピックの誘致にせよ、公共事業とか、いつまでこんなことを続けるのだろう、という気持ちです。
こんなことやっても自国の資産をすり減らして徐々に弱っていくのは目に見える・・・・気がするのです。

新しい価値観は生み出せなのいか?
トヨタが儲かるのも、三菱UFJが儲かるのも結構だけれど、
社会を変えていくような新しい企業がどんどんとベンチャーとして生まれてくるような社会にはならないんでしょうかね。
わくわくしないんですよね。

そんなことを感じました。
この本を読むと、そりゃそうだわ、と感じました。何億円も費やして実用とは程遠い研究を続けている企業の研究部、
自分の持ち場以外のことには無関心だった倒産した会社の社員のことなど述べられています。





「街場の憂国会議」内田樹:著

こちらは、いつも愛読させてもらっている内田氏の本ですが、
安倍政権の危うさについての解説です。つまり、秘密保護法が施行され、憲法改正が現実味を帯びている現在の日本の状況は
当時世界一民主的な憲法と言われたドイツのワイマール憲法がナチス独裁政権を生み出したのと同じくらい歴史に残る事件になる可能性になる、という件

それと、日本政府が大事なことは、この先数百年、数千年、日本という国があるということを前提に政策を考えなければならない、という話です。
つまり、株式会社であれば、会社が儲かるために法の範囲内で利益を求めていくことができるし、
使えない社員はリストラすればよい、しかし国は株式会社ではないので、倒産することはできないし、国民をリストラできない。
その視点で政治を作らなければならないと書かれています。

同時に日本は過去に対して責任を背負ってゆかなればならないという過去から連続して存在する国家としてのあり方も述べています。
現在、憲法改正や積極的平和主義などが議論されていますが、
日本が追い込まれて戦争をするように仕向けられたものであれ、日本国憲法が外国から押し付けられたものであれ、
実際にこれが、昔から日本という国があっていろいろな過程を経た結果なのだから、その事実はしっかりと受け止めなければならないという話です。
確かに、これは自分の先祖を否定するというのとは別次元の話です。
「戦後レジームからの脱却」とは、事実を受け止めていない、ということと受け取られます。

そのような内容でした。

どちらも興味深く読ませてもらいました。
posted by さとし at 19:01| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書・映画・芸術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月21日

原著論文accept

先日、無事投稿中の論文が国際雑誌にacceptされました。
博士課程の時に取ったデータですが、当時の自分では結果の解釈ができなくて放置してたものです。
論文投稿のプロセスは少しずつつかめてきた感じがします。
しかし、何度もRejectされた末のやっとのacceptなので、内容がすごいとかではなく、よく心折れずに努力したわ、
というレベルの話かもしれません。まあとりあえず一つ落ち着いたということで。
どなたか存じませんが、時間を割いてコメントしてくれたreviewerに感謝です。

この論文は、まずは去年のSFNでポスターを見に来てくれて「Publishされたら論文をくれ」
と言っていたスイスとアメリカの研究室の人に送って色々とディスカッションできればと思ってます。

しばらくはこういう形で、原著論文を読んでインプット、臨床で効果検証、大学でメカニズム調べて、
論文書いてアウトプット、というスタイルを淡々と続けようと思います。
僕がすごいなと思っている人はみな自己主張をせずに黙々と研究をして結果を出している人ばかりですし。
結果が全て。よくフェイスブックとかでみられるような「頑張っていますアピール」は必要ないと思ってます。

リハビリに関わっている立場からすると、原著論文を出すということは、
研修会に参加して認定されるとか、手技のテクニックを練習する事とは意味合いが違っていて、
サイエンスの世界でひとつ認められて、科学やリハビリテーションの進歩に微力ながら貢献できることだと思っています。

セミナーや研修会に参加したり、テクニック教えてもらって一生懸命に練習したとしても、
指導者が考えを変えれば習っている人も180°考えを変えることがある。
あるテクニックでは一昔前は脳卒中患者は3か月はベッドから起こしてはいけないと言っていたのに
現在では全然違うことを言っているわけですが、上の先生がそう決めたからそうなのだろう、となるわけです。

自分の数少ない臨床経験の中でも、有名な病院がやってるからという理由でうちでもやってみようと取り組みを始めたり(口コミのレベル)、
外部講師が教えたやり方が一時的に流行し、1年後には誰もやっていない、というよくわからないことがありました(ブーム)。
患者さんが良くなればなんでもいい、という考えがあるのかもしれませんが、
確かに臨床ではそういう考えも必要ですが、なぜよくなったかは考察できなければならないと思います。
業界全体としての漠然とした印象ですが、みんな誠実で勤勉な人が多いですが、純粋すぎるというか、そんな気がするわけです。新しい概念や治療法が出てきたりするとみんな一気に飛びつかれます。

また、○○法は好きだけど●●法は嫌いだとか、好みで治療法を考えているセラピストもいます。
これもすごく閉鎖的に感じていて、例えば神経科学者とか、医者とか、心理学者とか、医学に関係する様々な職種と共有できる話題ではありません。科学ではありません。

一方でエビデンスが大事だという人は、確実に根拠のあるもの、よくあるのは理学療法の教科書に書いてあること、運動学とか解剖学とかをよりどころにしている人が多いわけですが、
実際に臨床していると運動学や解剖学だけでヒトや治療は語ることがでないのは当たり前なのですが、そのためのエビデンスがない。

つまり、これからセラピストとしてやっていくには、きちんと原著論文を読んで、
読んだ論文の結果を自分なりに解釈して、自分なりの根拠に基づいた治療法や関わり方を
作り出したり考えていく必要があると思ったりしてます。
原著論文として出すということは、そういう意味合いもあったりして。

自分はまだまだ力不足ですが、そういうことをしていけるセラピストでありたいと考えたりしているわけです。まだ目指す理想像ではありますが。

そういうわけで明日はセミナー手伝いなので早く寝ます。
おやすみなさい〜。
posted by さとし at 01:28| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月20日

交流集会

今日は院所の学術交流集会で発表してきました。
内輪の発表会なので取組報告や活動報告などが多く

僕を含めたうちの施設のリハスタッフの発表は、訪リハについてでした。
僕も症例報告をしたのですが、多分リハ専門スタッフの人が聞いたら当たり前だろうと思うくらいシンプルな内容にしました(発表時間やポスター発表という形態によるものもありましたが)。

内容は、サービス関係者の上手なかかわりによって症例が社会参加できるようになった、というものでした。
訪問リハビリで非常に遠方まで一緒に外出して動作評価や環境評価を行いました。

ケアマネはその情報をもとにうまくマネジメントをしたりと対策を考えてくれたのですが、
実際訪問リハビリに携わっていて、ケアマネが誰かによってその利用者さんへの関わり方が大分違ってくる気がします。
もちろん、訪リハ担当者が誰になるかによっても異なるだろうし、それぞれ個々の技量だからそれはそうだろう、ということになるわけですが、

ケアマネによっては、訪問リハビリとは、運動したり歩いたりするもので、
それから先、何か生活面でできるようになることを増やしたいとか、
社会参加を促したいとか、利用者さんの人や生活など全体としてどうしようかと、そこまで考えるケアマネは時々いたり時々いなかったりと感じます。

体力が落ちてるから運動してもらう、という感じで依頼されてくるケアマネもおられます。
それはそれでいいのですが、そういうケアマネさんにはなかなか、運動の先の生活をどうするかという話が通じなかったりという場面もあるのです。
今回発表した症例のように、一緒に現地まで行って評価をして、その情報をもとに一緒にいろいろなサービスを考えたり対応を考えたりしたら、
症例の可能性はどんどん広がるし、そういう訪問リハビリの使い方もあるのですよ〜、ということを伝えたかったのですが、

うまく伝わったのでしょうか?

自分の中では、ポスターもビジュアル的に見やすくしたし、小ネタもはさんだりしたし
プレゼンも読み原稿を読まずに聴衆の方を向きながらやりましたし、
まずまずだったよな〜とか思っていますが(笑)。
ただし自己評価は誰しも高めなので実際は分かりません。

今回も思ったのですが、ポスター発表は国際学会のようにそれぞれ1時間とか2時間とか発表者がポスター前に立って、聴きに来た人とディスカッションする方が絶対にいいです。

ぞろぞろみんなで固まって発表者を回って、発表時間○分、質疑応答○分で、発表者は頑張って発表して終わったらお疲れ様、って感じでは
発表することが目的になってるし、第一誰も質問しないし。そしてその数分の発表が終わったらそのポスターの前には誰も見なくなるという、発表が目的なのか、ディスカッションが目的なのかよく分からない形式ですが、この形式では、発表することで完結してる気がします。
すごく無意味に感じるのは僕だけでしょうか?

まあ、そんな感じでした。週末にセミナー手伝いなので明日に用意をしなければなりません。
おやすみなさい。
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2015年02月16日

データ解析

先日購入したMabBookで書いてます。
Apple製品は操作方法が面白いし、フォントもおしゃれですし、使ってて楽しいです。
仕事でWindows関係を使う機会が少なければMacに乗り換えてるかもしれません。

昨日は仕事後に患者会の方に協力してもらって実験してました。結果はまずまずでているようでした。
実験はいつもぶっ通しでやるので疲れます。
大学では始発で実験室に入って出る頃には真っ暗ということもあって、体感時間と実際の時間が違うので
「時と精神の部屋」とか言ってましたが、そんな感じです。今回もあっという間に5時間くらい経過してました。

患者会の人たちも楽しそうにしてくれてよかったです。
結果がまとまったら報告をしようと思ってます。

解析を進めていこうと思っていますがどうなることやら。しかも、実験装置がWii fitなどを使っていて、しょぼいので(Wii fit 1
も研究用重心動揺計並みの信頼性があるという論文もありますが)、精度に難があるかもしれませんが、まあそんな感じです。

今日は、去年の秋に少しとったデータを短報用に英訳したので、校正にかけました。

淡々と進めるだけです。

そういうわけで、これからすこし趣味に関する勉強をして寝ます。
posted by さとし at 02:07| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 臨床・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月14日

明日はデータどり。

膝の痛みがなかなか引かず、
膝の捻りがはいる動きで痛みが生じるし、
立ち上がりしな、膝が伸びないのでどうも
半月板を痛めている気がしています。
半月板損傷の可能性を評価してみたらことごとく陽性だったので、
本当にかなんなぁ〜と思う今日この頃です。
昨年末から生活が一変したのですが、自分の時間の過ごし方が
全く変わっていないので、現実世界と自分の中の意識の間にずれが生じていて
はたしてこれでいいのかと最近感じています。自分にとって重要なことは何なのか
見直す時期に来ているのかもしれません。

さて、今週は、Minor revisionで返ってきた投稿中の論文も再投稿し、
現在執筆中の原著論文も少し進めました。

あと、試行錯誤しながら
興味本位で、とあることを、勉強しながら進めています。
なかなか初心者のとっかかりがつかめず、
先日情報収集に大阪まで出かけたりしたのですが、
結局、参考書を3冊ほど購入して現在の方向に落ち着きました。
なかなか面白く学べています。
どの参考書を選ぶかがいかに大切かが分かります。
理解度も違うし、面白いと感じるかどうかまで変わってきます。
このまま順調に進めばいいと思っていますが、
また一区切りついたときに報告できればと思っています。

明日は午前中業務、午後は患者会の方に協力してもらってデータ取りです。
予想以上の人数が集まって、本当に有難い限りです。
患者さんのヘルスプロモーションにもなるし、今後継続して進めていければと
個人的には思っているのですが、、、今後に期待ですね。

そういうわけで寝ます。
来週はセミナーの手伝いだし週末あわただしくなってきました。
posted by さとし at 02:31| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月13日

「プライドが高くて迷惑な人」 、「世界で活躍する脳科学者が教える! 世界で通用する人がいつもやっていること 」

最近読んだ本で面白かったもの。

「プライドが高くて迷惑な人」 片田 珠美:著




職場や自分の周りにいるプライドが高くて迷惑な友人や上司がいます。
自分が一番でないと気が済まない人、
特別扱いされないと気が済まない人、
何かと口を挟んでくる人、
恋人に求める者が高く、無償の愛を求める人、
それらの人について精神科医である著者が精神医学的な分析をして
対処法や関わり方などを述べています。
おそらく会社などで人間関係に悩んでいる人を対象にした本だと思いますが、
僕自身も当てはまる部分があるでしょうし、
自生する部分も含めて読むことができました。


「世界で活躍する脳科学者が教える! 世界で通用する人がいつもやっていること 」 中野信子:著



自己啓発本のコーナーにありましたし、内容的にも自己啓発本なのですが、
著者がフランス国立研究所にいたときの圧倒的な仕事をしている人たちが
どのような生活や行動をしているたかを振り返りながら、脳科学的に解説しています。
よく寝る、やりたいことだけをやる、などストレスを抱え込まないような仕事の仕方が良いようです(笑い)。
posted by さとし at 23:42| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書・映画・芸術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Motor cortex representation of the upper-limb in individuals born without a hand.

Motor cortex representation of the upper-limb in individuals born without a hand.
PLoS One. 2011 Apr 8;6(4):e18100. doi: 10.1371/journal.pone.0018100.
Reilly KT, Sirigu A.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/?term=Motor+Cortex+Representation+of+the+Upper-Limb+in+Individuals+Born+without+a+Hand

2010年の論文ですが・・・。
幻肢という現象があります。手足を切断した人が、なくなったはずの手足があるような感覚を感じたり、時折、ないはずの指が掌に食い込んだりして痛みが生じる(←幻肢痛)現象です。
これは、失われた手足からの情報が入らなくなり、もともと脳の中で様々な情報を統合されて作られた身体図式と一致しなくなったから生じるからだと考えられています。
従って生まれつき手足がない人は手足がない状態で身体図式を作られているので幻肢が生じないのですが、
一次運動野の手足に関する領域はTMSで刺激をした時、運動関連電位が生じるのかどうかを調べた報告です。
手足の動きは、あらかじめ自分自身の四肢で動きを経験することにより一次運動野で表象されることを述べています。
実際に身体で経験をすることで身体図式がつくられる、外部世界と内部世界の関係を示したものですね。

【Abstract】
身体図式は行為に関係した身体の表象であり、複数の脳領域のネットワークから生じる。
身体図式は経験により発達すると考えられているが、四肢なしで生まれてきた者において幻肢の経験は先天的だと提唱されている。
しかし、この考えの問題は、様々な大多数の四肢のない者は幻肢の存在を報告していないことである。TMSを用いて事故により切断した一次運動野において幻の感覚の動きを起こし、事故による切断は失われた手の表象の動きを取り除くことを提唱する。
我々は、大多数の四肢のない者の幻肢の欠如は運動皮質が失われた四肢の皮質表象を含まないためかどうか、または、存在しているが感覚運動経験の欠如によって活動していないのかどうかを確かめた。
4名の先天的に上肢がない者に我々は直接的に手・腕の領域のM1に刺激を与え、
1)我々は幻の感覚を生じるかどうかを確かめた。そして2)2つの失われた四肢の反対側の皮質において筋の表象が生じるかどうかを確かめた。
TMSは筋の断端に収縮するように失われた四肢の運動野に適応された。
筋図の位置と程度は半球の間で変化したが、システマチックな非対称性は現れなかった。
対照的に、手掌の筋の閾値はいつも失われた手の側で高かった。
我々は、何人かの先天的に手足のない者によって報告された幻の動きの感覚は、感覚運動皮質にある失われた四肢の運動指令によるものではなく大部分が視覚によって行われる。
我々は、つながった手足の動きの表象は一次運動野の中に表象されるための動きの経験を必要とすることを提唱する。


【Abstract】
The body schema is an action-related representation of the body that arises from activity in a network of multiple brain
areas. While it was initially thought that the body schema developed with experience, the existence of phantom limbs in
individuals born without a limb (amelics) led to the suggestion that it was innate. The problem with this idea, however, is
that the vast majority of amelics do not report the presence of a phantom limb. Transcranial magnetic stimulation (TMS)
applied over the primary motor cortex (M1) of traumatic amputees can evoke movement sensations in the phantom,
suggesting that traumatic amputation does not delete movement representations of the missing hand. Given this, we asked
whether the absence of a phantom limb in the majority of amelics means that the motor cortex does not contain a cortical
representation of the missing limb, or whether it is present but has been deactivated by the lack of sensorimotor
experience. In four upper-limb amelic subjects we directly stimulated the arm/hand region of M1 to see 1) whether we
could evoke phantom sensations, and 2) whether muscle representations in the two cortices were organised
asymmetrically. TMS applied over the motor cortex contralateral to the missing limb evoked contractions in stump
muscles but did not evoke phantom movement sensations. The location and extent of muscle maps varied between
hemispheres but did not reveal any systematic asymmetries. In contrast, forearm muscle thresholds were always higher for
the missing limb side. We suggest that phantom movement sensations reported by some upper limb amelics are mostly
driven by vision and not by the persistence of motor commands to the missing limb within the sensorimotor cortex. We
propose that prewired movement representations of a limb need the experience of movement to be expressed within the
primary motor cortex.
posted by さとし at 00:57| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月05日

「正しい恨みの晴らし方」中野 信子:著

「正しい恨みの晴らし方」 中野 信子:著




一般書ですが妬みや嫉妬についての心理学的、脳科学的な解説が分かりやすくされていて
面白かったです。

人が人を僻んだり、妬んだりする感情は、、
遠い存在である特権階級とか王族とか、セレブがどんな生活をしていようが何にも感じませんが、
自分と同等だとか、身近だと感じる人に対しては強く生じるそうです。
また、他人に対して嫉妬を感じる人は我が強く、プライドが高く、傷つきやすい性格であるとも述べらています。

また、他人が何かしら失敗をしたり苦しんでいる姿を見ることで快の情動が生じることも明らかになっています。


本当に面白いと思うのですが、消化器や呼吸器、運動器などヒトの体は本当に
無理なく合理的に作られていますが、
脳に関しては様々な情動が同時に働き、
ジレンマに苛んだり、ふさぎ込んだりと矛盾した感情により非合理的な活動が生じる、
それらによって人は成長していくわけですが、不思議です。
悩んだり、苦しんだりするのはヒトがヒトである所以でしょうね。
posted by さとし at 18:51| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書・映画・芸術など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

眠すぎ

昨日、投稿中の英論文のReviseが返ってきて、Minor revisionだったので一部修正して校正にかけました。
おそらくacceptされるでしょう。
英文のケースレポートも投稿しました。
職場の患者会と一緒に研究の実験をすることが今日きまりました。
自分の仮説を検証するのも大事ですが、地域の人たちのためになるような情報も発信していきたいものです。
デザインを詰めないと。

あ、職場グループの発表ポスターも作らないと。訪問リハの症例報告なのですが、ご本人さんに許可をもらった時に、ご本人も発表を見に行きたいとおっしゃってました。
能力的には厳しそうですが、患者さんや利用者さんも発表を見にに行けるような集会にしていければ素晴らしいと思います。そういえばアメリカのSFNでは脊損の一般の方が車いすを動かしていろんな発表を見に行っていますし。

そんな感じです。眠すぎます。やらなければならないことは沢山あるのですが、今日は寝ます。
おやすみなさい。
posted by さとし at 02:28| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月03日

シリアでの湯川さん・後藤さんの拉致殺害事件に思う。

ISISに日本人が拘束・惨殺されたという痛ましい事件が起こり
昨日は何もする気が起きませんでした。

紛争地の子供の日常を伝えるために自腹で取材に行き、
事件に巻き込まれて命を落とす人がいる。
その一方で、同時刻のfacebook上では幸せな結婚報告やら
楽しそうな飲み会に行ったやら、楽しそうな投稿であふれていて、
それは別に悪いことでも何でもないのですが、
個人的に何かすごく気分の悪さを感じました。

後藤健二と湯川春菜さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

後藤さんは、もちろんジャーナリストとして特ダネ記事を持って帰りたい、
という気持ちもあったかもしれませんが、言動や行いから
弱者に対して温かい視線を忘れず、義侠心にあふれた人だったと思います。
強い人とは、こういう人のことをいうのだろうと思います。
生きて帰って欲しかったです。

今回の事件で感じたことを3つ。

ひとつ目。
日本の外交には本当にインテリジェンスが必要だと感じます。
いつもいつも思うのですが、何かずれているというか。
今回ISISは安倍首相の訪問タイミングに合わせて準備をしていたと考えられますが、
身代金要求が水面下で行われていることを承知の上で
ISISに対抗することを宣言した記者会見や
ISISに交渉するための窓口である中田氏や常岡氏による対話を封じていたりと。
対応策がないのであればもっと考えて行動すればよいのではと感じてしまいます。
一昔前、橋下さんが、沖縄の米兵に「強姦するなら風俗を利用しろ」
というコメントを出して反感を喰らっていましたが、
それによく似た何か危機感のなさを感じます。
国際的に見てどうかではなく、内輪のノリというか。
何かこう視野が狭い。

ふたつ目。
今回は日本も十字軍に参加したとISISは主張していました。
内田樹氏も言っていたのですが、
軍事力を持たないということで、今回のように敵国視されるようなこともないし、
現憲法は第二次世界大戦後の理想を描いたような内容で、
侵略してくる国に対しては、それが戦後秩序の破壊になるので
世論がそれを許すことはないだろう、つまり
戦力をもたない日本国憲法にもある程度は抑止力があるのではということ。


みっつ目。
日本は今回、巻き込まれた感が強いですが、過去の文脈からしっかりと昔から
日本は敵だと受け取られている可能性があるということです。

ISISが勢力を広げた原因はアメリカがイラク戦争により
サダム・フセインを処刑したことでイラクが無秩序状態に陥ったためだと
考えられています。、
無秩序状態に便乗して、ISISの前身となるアルカイダ系のグループが
勢力を広げてきたのです。
そのイラク戦争では、当時の首相である小泉氏が
アメリカの軍事行動を支持し財政面で援助をしていましたが、
その時もイラクで日本人が拉致されたり、処刑されたりして
後方支援であっても敵とみなされていました。
アルカイダの流れをくむISISにとっても日本はやはり敵だとみなしてますし
人道目的だという安倍総理の弁明もあまり説得力はありません。
今も昔もやっていることは同じです。それを事前に読み取ることは出来ていたのか。

そんな感じです。
posted by さとし at 00:00| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする